上杉謙信

上杉謙信の戦い方を解説!川中島の戦いに見る3つのポイントと欠点!

上杉謙信が戦においては無類の強さを戦場で発揮していたことは、多くの人に知られています。

戦績は71戦中61勝2敗8分で、勝率は97%とされています。

驚異的な数字ですね。

いったいどんな戦い方をしていたのでしょうか?

上杉謙信の戦い方、強さをを川中島の戦いを分析し、検証しようと思います。

上杉謙信の戦い方を解説!川中島の戦いと手取川の戦いを徹底検証!

 

川中島の戦いまでの経緯

 

川中島の戦いは全部で5回あります。

その中で激戦となったのが永禄4年(1561年)9月10日に行われた、第4回目の八幡原で行われた戦いです。

上杉謙信の戦い方は、第4回目の川中島の戦いに顕著に出ています。

では見てみましょう!

謙信は武田方海津城の南方の妻女山に陣取ります。

上杉軍の兵力の詳細

戦兵 8千

輜重・遊軍 5千

北越軍談巻23 抜粋

一方武田信玄も2万の兵を率いて、8月24日に川中島に到着、29日に海津城に入城しました。

この後、9月9日まで両軍睨み合いとなります。

上杉軍は補給路が断たれているため食料が乏しくなり、軍の士気が衰えてしまいました。

この程度で動揺するとは情けない!今に信玄は動き出す。それまで琵琶でも弾いていよう

この謙信のチャンスが来るまでは絶対に動かないというのは、上杉謙信の戦い方の大きな特徴でしょう!

一方武田軍も補給路が上杉軍より遠いため、武田信玄は焦りを覚えてきました。

わが軍も補給が危うい。それに春日山城から謙信の援軍が来るかもしれない

我慢比べといった様相ですね!

 

八幡原に見る上杉謙信の戦い方

 

9月9日、武田軍は軍議をして、有名な「啄木鳥」戦法を取ることに決まりました。

具体的には12000の兵で妻女山の後方を突き、上杉軍を攻撃、その後八幡原に出てくるであろう上杉軍を、待ち伏せていた武田軍本隊8千で攻撃し、大損害を与えようとするものです。

謙信は妻女山の戦闘で勝っても負けても山を下り八幡原にでてくる。そこを儂が本隊8千で討つ。決着をつけようぞ!

図で表すと下記の通りです。

画像

(雨宮渡案内図)

武田信玄の作戦

・9月10日午前零時に高坂弾正先導による迂回隊12千は海津城を出発

・妻女山の南方に出て、午前六時に上杉軍に攻撃開始

・信玄本隊8千は午前4時に海津城を出発し八幡原に鶴翼の陣を張って、妻女山を降りてくる上杉軍を撃滅する

武田軍は10日の軍事活動に備えて弁当を焚いていました。

当然いつもより炊煙の煙は多くなります。

それを謙信は見逃さなかったのです。

武田は動く。出陣じゃ~

9月9日夜11時頃、武田軍が動くと判断した謙信は、即座に武田攻撃を決意しました。

この天才的な判断力に基づく電撃的な行動は上杉謙信のイメージ通りの戦い方ですね!

手取川の戦いでも謙信の天才的な判断力に基づく電撃的な軍事行動が見られます。織田軍の隙を突き、一気に攻撃して敗走させました。

 

八幡原の死闘

 

上杉謙信は妻女山の本陣には僅かな兵を残して八幡原目指して軍を進めました。

上杉軍はこの移動中に武田の物見17人を斬りました。

武田軍の情報組織は有名ですが、上杉軍の情報組織は武田以上のものがありました。

この優れた情報組織による情報戦も上杉謙信の戦い方を象徴するものです。

こうして上杉軍の行動は隠密行動になったのです。

霧の中行軍、午前六時頃に霧が晴れだしたところ、前面に武田本隊が陣を敷いていました。

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(川中島大合戦図)

謙信はこの時車懸りの陣を敷き、武田軍に攻撃を開始しました。

兵数も勢いも優る上杉軍は武田軍を圧倒、壊滅寸前に追いつめます。

そして信玄の弟の武田信繁、山本勘助、諸角昌清等を討取りました。

かかれ~信玄をもう少しで討取れるぞ

しかし午前十時頃、武田軍の迂回部隊が到着。

助かった!迂回部隊に上杉の背後を攻めさせろ!謙信を討取るのじゃ

ここで形勢逆転し、上杉軍は善光寺に向けて壊走するのです。

この事から、「午前中は上杉の勝利、午後は武田の勝利」等と言われています。

 

上杉軍の欠点とは

 

上杉謙信の戦い方の大きな欠点として、独立した軍団長がいないことです。

そのため謙信が直接指揮を執る戦では無類の強さを発揮しますが、謙信と別行動できる家臣がいないことから、大きな戦略的作戦が展開できませんでした。

つまり謙信が誰かに背後を任せて、正面の作戦に集中するといったことができなかったのです。

このことが関東平定も京洛制覇もできなかった大きな一因となったといえます。

なお、ライバルの武田信玄には、山県昌景、秋山信友、高坂弾正が育ちました。

織田信長にも、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益が育ち、信長の大戦略を進める大きな力となったのです。

 

上杉謙信の戦い方をまとめてみた

 

いかがでしたでしょうか。

今回上杉謙信の戦い方をまとめてみました。

謙信は天才的な武将だということが、お分かりいただけたと思います。

あの武田信玄を敗走寸前にまで追い込めるのは謙信だけなのではないかと思います。

しかし信玄や織田信長のように優秀な家臣に恵まれなかったのは残念ですね!

もし人材が育っていたら自由に兵が動かせて、戦略的活動も幅が広がったことでしょう。

最後までご覧いただきありがとうございます。